自然とつながる

春と冬が交錯する季節の濃淡を味わう。今、ここを感じるお散歩。

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左脳が優位すぎるとあれができていない、これをしなくちゃ、自分の境遇に悲観したり、悔しかったり、考えて考えて苦しくなってしまうこともあるね…まぁ、それはそれで味わえばいいし、ときに必要な時だってあるけれど。

 

ただ、今ここを感じたくて、幸福の在り方を感じたくて、心で味わう純粋な幸せを感じるために簡単なことはただ自然の中に行くこと。

誰もいない穴場を見つけては、そこに身を置いて、自然の音に耳を澄ませて、木漏れ日のやさしさを味わってみる。鳥が鳴き、葉がささやいて、土からは暖かい香りが…幸せだなって思う。

 

きれいごとなんだよ、そんなの。うん、きれいごと。魔法みたいにその瞬間だけ純粋な幸福感が身を包むんだ。目に見えるわかりやすい幸福とは違うけれど、それでも私たちはそれぞれに役割があって存在している。それはとても地味なことかもしれないし、人気がない役割かもしれない。派手で注目を浴びるようなことはないかもしれないけれど、ここに存在する意味がちゃんとあることだけは確か。

 

だから腐らずに、卑屈にならずに、ときになってしまっても、ときに消えたくなってしまっても、そのたびに自分を取り戻していかなくちゃいけない。

 

変わっていく世界、始まった希望、そのスケールの大きい転換の中で自分ができることはどんな小さなことでも大切で必要で、パズルのピースみたいにはまるのを待ちわびているよ。

 

満たされない思いとか、現実の葛藤とか全部忘れて、自然とつながれば、右脳が優位になって、勝手に癒し始める。

 

そうやって、明日も生きていけると心は思うし、生きていきたいと思えてくるから不思議なのだ。

冬から春に変わっていくエネルギーに乗って、明日への活力をチャージしに行く。

冬枯れ目立つ中、春と冬の情景と香りが交錯して、季節の濃淡を味わえる贅沢な季節でもある。

朝はまだ、寒いのに日中の太陽はとても暖かくて、春を見つけにお散歩に行けばあっという間に時間が過ぎていく。

 

気づけば往復5時間もたっていた。導かれた場所は誰もいない、里山の風景。とても静かな場所。こういう場所がとても好き。