自然とつながる

幸せも不幸も最後まで完結しないよね、きっと

記事内に商品のプロモーションが含まれる場合があります。

 

何を言ってもそれは甘えだという人はいます。それが社会の残酷さです。

どんなに辛くて過酷な環境を過ごしたとしても、

その時辛かった気持ちや状況を一言で語ることも表現することもきっとできません。

精神的な辛さというのは絶対に本人にしか永遠にわからないですから。

言葉で組み立てようとしても・・・きっと難しい。下手に伝えようものならそれこそ危険で、自分にとって毒になりえます。

だから言わないほうがずっと楽だったりします。

「あなたの辛さはあなたのもの。あなたにしかわかってあげられない現実。」

そう言い聞かせるわけです。

 

あの日…あの時…

あの状況…

細かいディティール…

感情の癖や場所、人、もの、複雑に絡み合って形成される負の感情の波…。

辛い…苦しい…不安…恐怖。

逃げたい…情けない…みじめ…恥ずかしい…。どうしようもないあの感情…。

死でさえも選択肢として肯定される、あの一瞬…。

 

断片的に分かることはあるかもしれないけれど、自分と同じ人間なんてこの世に絶対に存在しないので一致はしません。

だから、自分自身がわかってあげられてればそれでいいんじゃないかって…これも一種の前向きな諦めなのです。

そのほうが自分を保っていられます。わかってもらえないことに憤り、むなしさや疎外感を感じることもありません。

だから助けてくれないとか、わかってくれないとか嘆いても心の傷を増やしてしまうこともあるでしょう?

 

今の社会というのは、

本質から遠ざかっていて、名ばかり制度やごまかしの法律ぐらいしか存在できてないので頼れないのです。

 

弱いものが優しく守られるような世の中ではないですよね。

 

だからこそ、自分が辛かった経験を

話すことは逆に自分自身を傷つけることになる恐れがあると感じていた若いころ。それは今でもそうです。

 

 

でも、甘えというのは実際に存在します。でも人間だもの時には甘えたいのは仕方ないです。

例えば辛かったことや境遇、被害に甘んじて立ちどまっているということや、できない原因で縛り、開き直ってみたりとか。

他人よりも自分がどんなに不遇を被っているのか比較して自分を守ってみたりとか・・・。

光よりも暗闇にいることを無意識に好んでいる心とか・・・。

まとめると、今できる最大限のことをしないで、未来をみて踏み出していないってことなのかなと思います…。

それが難しいこともあるし、だから引っ張り上げてくれる人や背中を押してくれる人が誰にでも必要なんですよね。

 

 

そして、

 

乗り越えればそれは甘えてはいなかっということになります。途中で泣いてばかりいたとしても、立ち止まって逃げたとしても自分がたどり着こうとしているところにいつかたどり着いたら、それでいいわけです。

どんな形でも、自分という人間にしかわからない、自分なりのたった一つの乗り越えるルートが存在するはずです。

 

性格、環境、能力、みんな違うから、比べることってできないはずなのに、社会はそうは見ない残酷さを、したたかに横目で流しながら…。

 

 

社会にわかってもらうために動くことは大切かもしれません。それが社会の気づきになったり誰かの気づきにつながったりすることもあると思いますから。

 

でも、わかってもらったとしても個人では救われていない人って大勢いるんですよねこの世界。それは表面しかわからないからなわけで。

わかってもらうよりも自分でどうしたいかが達成できなければ何も満たされないし救われないわけです。

辛くて酷なことはいたるところに存在するし、ほんとに世の中知らないことだらけですから。

 

もしかしたら隣に住んでいる人がSOSを出してるかも知れないし、泣いてるかも知れない。

 

訴えることは社会を変えていく上でもちろん大切だと思います。

でも、それをわかってくれないと嘆くことははっきり言って意味がないとも思っています。

何よりも自分自身にプラスにならないですからね。これに尽きます。もうある意味でそれを望むと果てしなく絶望するんです。

社会は一定のところまでは手助けしてくれるかもしれません。

 

でも、人間一人一人の心にまで介入して手を差し伸べるなんてきっと難しいです。だから人は人の中で生きてます。誰かの隣に誰かがいます。家族とか友達とか、すれ違っただけの人が自分を救うきっかけをくれるかもしれません。

 

今の社会は建前社会です。

世界中で助けを求めている人はいるし、どんなに先進国になっても救われていない人は必ずいます。矛盾だらけの社会だったりします。

人間が感情を持たない生き物だとしたらどんな社会でも悲しみとか苦しみなんてないかもしれませんが、私たち、感情を持っています。何かを感じながらいつも生きてるんですよね。

何よりも自分で変えていこうという気持ちが必要だと強く感じます。これが一番難しいんですけどね。

 

でも、だいたい経済的な問題でつまずくことが世の中多いのかな?と思います。

お金がなければ、お金で解決できることすら解決できないのは当然で、

さらにお金で解決できない問題も背負えばそれは悲惨ですよね。

お金で解決できない問題・・・何があると思いますか?

考えればたくさんあります、きっと。

お金で世の中が回っている以上、お金は必要だけれどお金で幸せになれるかって言えば「なれない」と私は思ってる人間で、お金でいろんなものを手に入れてもその先があることを知っています。

別に私お金なんてないんですけど、行き着くのは必ず心だと知っています。

最後に見つめるのは心。というより見つめざるを得なくなります。必ず…。どこまでもついてくるのが自分の中に見えないのに存在する”心”なんです。

 

逃げられません。

 

幸せって感情は、目に見える形としても物質としても存在しなくて心で感じるものだからです。

 

さらに幸せって完結するものじゃなくて進行形で語られるもので、現時点でも何かしらあると思うわけです、幸せなことは。

混在してたりすると思うんですよね、不幸と幸せって。不幸のどん底でもなんかしら幸せってあります。

だから最後まで完結しないんだろうなって・・・思うのです。幸せも不幸も。