「人生は暇つぶしだ」という言葉を聞いたとき、なんとなく本質の一部をついているような気がしたのです。
もちろん、人生にはきっといろんな意味があると思います。目には見えないものや情緒的な視点からみればそれは果てしないくらいの意味があると思いたいのが個人的な思いなんだけれど…。
生きるということは日常の積み重ねなので、その日常の営みが退屈だったりしたらつまらないですよね。
何か意味のあることを人は求めるし、貢献したいという気持ちが人の社交性を後押ししたりもするわけなんですけど、でもそんな難しいことばかりを考えなくても営みを有意義に出来たらなんて素晴らしいことだろうと当然だけれど思ったりして。
素晴らしいというより、素敵!!て感じですかね。
暇だな~が、あえてのティータイムになれば能動的に楽しんでいることになるわけで、気の持ちようでもあったりします。
無理やり感満載でも、営みのディテールにこだわりたくなるんです。
いったん、自分の営みを中心に考えて社会というものを置いておくことも時には必要な気がします。
私の場合は、植物を育てるということに楽しさや幸福を感じるので、とくにそれが生きることに直結する営みでもあるということが何とも幸運なことでした。これから先もたくさんの伸びしろを感じながら広げていける営みの一つ。
もっと見つめてみればやりたいことはたくさん湧いてきます。ほんとに。こんなにやりたいことあったんだ自分!!って思い知らされます。あー大変だなーって構えていることも、もちろんあるんですけどね(汗)。
今まで興味のなかったことに興味を持ち出したり、新しいことにチャレンジしたりすることが暇つぶしになるのを感じています。もしくは昔はやっていたことを今になって再び始めるのもいいかもしれない。
当たり前じゃんって言われればそうなんですけど、改めて考えてみる時期だったようです私にとって。
大変なことや難しいこともあるかもしれない。でも、それが営みを埋め尽くしてくれる作業になる。
日々の時間を自分の好きなことで埋め尽くしていく作業を人生と呼んだらちょっと軽薄かもしれないですね。
人生は山あり谷あり、紆余曲折が人生だと多くの先陣たちは言っています。私もそう思います。ただ、日々という単位で考えたときに、もっと言えば一時間という単位で考えたときに営むパーソナルな時間をもっと素敵にしたいと思ったのです。
その積み重ねが前提にあって、世界というものや社会というものに目を向けなければバランスが悪いと思います。
出来ることと、しなければいけないことのギャップが大きければ大きいほど心も疲弊する気がするので。
何かしなければいけないという思いをいったん手放して、自分のやりたいことや溢れてくる思いにそって営みを作っていくことで心も健康になるのを感じています。
情緒的な視点で見れば、それはいずれきっと意味のあることになるし、社会や世界という大きなスケールで考えたときにもちゃんとした意味や役割を持つはずだと信じています。
意味のあることを前提にするよりもやりたいことを前提にして暇つぶしが出来れば、幸せはもっと身近になります。毎日の営みに幸せを感じやすくなります。幸せを感じる一瞬をもっと増やすことができると改めて感じる今日この頃です。